いじめについて思うこと

「SMAP×SMAP」特別編でいじめについてやってましたね。
私もいじめについて考えなくはないですが、この義家さんっていうんですか、この人の言ってる事、全部が全部正しいとは思えません。この人が言ってるのは大人の考える「強者の理論」でしかないように思えて。
子供の世界は、大人が考える程単純なものではないと思います。
子供は大人が思うよりもずっと狡猾で複雑な生き物ですよ。事の善悪について自分たちの境界線がある意味曖昧であることを強みにしてる部分ってあります。大人が自分たちのやることに対して「子供のやることなんだから」と考える事を良く知っている。というよりも、本能的にそういう隙間を嗅ぎ付ける、という感じかな。
こう書くと「そんな事はない」「子供は弱くて守られるべき存在なんだから」と思われる方の方が多いでしょうが、実際、学校というのは能力値のそう変わらない人の群れなんですよ。群れの中には当然の事ながらリーダー的な存在ができてくる。弱者は強者の下につくことを余儀なくされる。そのボーダーを決めるのが「体力」であり「学力」であり「外力」なんです。外力はいわゆる「親」の力ですね。そのボーダーの下に置かれた子供が強者によって虐待される、それがいじめだと私は思ってます。その力関係をひっくりかえさない限り、その子はずっといじめられるわけです。そして、力関係をひっくりかえすことができた場合、その子はいじめられなくなりますが階級は残るわけですから、新たなリーダーが生まれ、その子が「力」を誇示し新たないじめが生まれると。それが今さかんに言われている「いじめの連鎖」のメカニズムなんじゃないかと思います。
本来、正しい群れではそのリーダーは「先生」であるべきなんですが、今の先生は親や学校等といった組織の下僕になっていることを、子供は敏感に感じ取っているんじゃないでしょうか。だから、リーダーとして先生を見ない、群れの中の第二のリーダーが自分よりも下だと思った子を「力」を誇示するために虐げる、そういう状況になってるんじゃないでしょうか。群れの中に、最下層の存在がない、という状況はあまりないんじゃないのかな。
そういうものなんだ、ということを認識した上で、自分は「強者」だと思っている子供に、どうやって「子供は大人より下だ」「群れに階級はない」と理解させるか。本当にいじめをなくそうと思うんだったら、そういった事を考えた方がいいんじゃないかと、私は思います。
それと、よくいじめとかで「学校が殺した」だのなんだのっていう親御さんがいますけど、あれもおかしいと思いませんか? だって、1日24時間のうち、子供が学校にいる時間は長くても7時間でしょう? 一日の3分の1にも満たない時間ですよ。残りの17時間は家にいて親と接しているわけです。そしたら普通気付くよね? 子供の様子がおかしいとかってさ。確かに共働きのご家庭もあるでしょうから一概には言えませんけど、それでもね、自分の子供がいじめられてるっていう状況に気付かないのはおかしいと思うわけなんですよ。
子供は何もいわなくても、必ず何かしらのサインは出してると思います。それを親が拾ってあげないと。おかしいと思ったら学校に怒鳴り込んででもいかないと。学校に言ってもだめなら教育委員会とか、自治体とかに噛み付いていかないと。本当に我が子を守りたいと思うんだったら、なりふり構ってられないと思いますよ。そうする事によって子供がもっといじめられるっていうなら、いじめてる子の親のとこに直接怒鳴り込んで行くとかね。
すくなくとも、うちの母はそうでした(笑)
やー、同級生に田植え間近な田んぼに突き落とされて泥だらけで帰ったら、母が血相かえて突き落とした子の家に怒鳴り込みに行きましたからねー。それ以来、いじめられませんでしたよ。ええ。まさに「母は強し」です。

まぁ、何にしても、いじめというものを本当になくす事は難しいと思います。むしろ、いじめられてもどうやってそれを克服するかということを、子供に教えてあげる方が良いのではないかと思います。いじめられて、それを克服できない子が自ら「死」を選んでしまっているのなら、それを克服する勇気を教えてあげればいい。そう思います。

ちるきちさんから「発言します宣言」があったのでとりあえず上に上げておこうかと…。


<続き>

あまり気持ちのいい話じゃないけど、もう一つ、いじめから逃れる方法があります。
それは「勉強」すること。
先生は学校の下僕であるが故に、成績のいい子を無下にはできません。ですから、勉強でも何でもいいから、学外に主張できるものを身につけるといじめられても先生がかばってくれます。
本当にイヤな話ですけどね。私、小、中学校の頃は成績が良かったんで。それもあっていじめられなくなりましたよ(苦笑)

本当にイヤな話ですね。

コメント / トラックバック 4 件

  1. くまー より:

    わたくし、一人で居ることが苦にならない、というか、むしろ一人でいる時間がないと駄目な人間だったので(小学校から)いじめってよくわからないのですよ。自分が好きな人間以外にかまわれるの嫌いなんで。むしろ私が嫌な人間が寄ってこない状況を作ると。
    多分、今の子って一人でいれないのかな、とは思います。
    金八先生が、いじめる子はどうにもできない、いじめられている子の精神を強くすることしか自殺を止められない的なことをコメントされているのを見て、その通りだなと思いました。雰囲気って大事なんですよ。この人は何やっても何も感じないんだと思うと、子供っていじめないですよ?最初はそのつもりでも、面白くないんです、無視されると。あんたバカって目で見続けられるのは誰でも嫌でしょ?
    いじめられ続ける子は、どこか卑屈さがあるんだと思うんですよ。卑屈になったらつけいられるよ、と言いたい。自分の人格を否定されたら、相手の人格を否定してあげないさいといいたい。暴力には暴力で返すとかね。ま、それが出来ない優しい子が死んでいってしもうのかな、と思う。
    でもね、いじめられる子はきっかけってあるんだよ。空気を読めないってあの番組ではいってたけど、触れたらいけないとこに無邪気に入り込まれたら、疎ましくなることってないかな。そこに触れて欲しくないから排除しようって、結構当たり前な感情なんだよね。そこで、その子がグループから抜けたらなんのいじめもおこらないと思うけど、何故かいじめられる子ってそのまま居座ってしまうんだよね。
    もちろん、不条理にいじめられる子もいるけど、それは、親がやっぱりきばらないといけないことで、学校にそこまで求めるのは無理な相談ですよ。親は一対一でしょ?でも学校の先生は一対何人ですか?戦いましょうよ、親は。いじめてる子はいじめてる子が死んでも罪悪感なんて持ちませんよ。死んでせいせいしたとしか感じてない。多分、自分が親になって自分の子供がいじめられて初めてわかることかなって。つーか、今の世の中は、10年後とかにいじめられていた子から刺されて死ぬかもしれない覚悟は持っておいたほうがいいかも、だけどね。
    いま、いじめている子に社会的制裁を加えようとしてますが、大人には制裁ないの?それを助長してるのは絶対大人なんだよね。かつて子供だった私は知っています。実は誰でも知っている。いじめを助長させるのも、止めさせるのも大人なんですよ。
    結論は、大人の大人力が低下しすぎてるから子供が死ぬってことなんですよね。人のことは言えないけど、今の親って大人じゃないんだよね。私たちの親は確かに大人だったけど、その下はどんどん大人になれないうちに親になっていく。子供生まれても大人になれない人間が多すぎるんですよ。そこをどうにかしてかないと、いじめ→自殺という連鎖は断ち切れないかな、と。
    長文、失礼しました。

  2. S.Mitsuru より:

    私は逆に子供の頃は誰かと一緒じゃないと怖くて学校に行けないタイプでした。さすがにねー、小学校高学年になったらそんな事なくなりましたけどね。今からは想像できないでしょう?(笑)
    だからってわけじゃないけど、いじめられても学校にいく子の気持ちが少しは解るかな。怖いんですよ。たとえいじめられても「一人」になるよりはまし、と思ってしまうんでしょうね。そしてそういう子はくまさんの言う通り「やり返せない」んですよ。怖いから。やり返してさらなる報復を受けるのも怖いし、それ以上に「いないもの」になってしまうのが怖いんです。
    だからね、ホントに「やり返してみる」っての、大事だと思いますよ。ハムラビ法典ですよ。「目には目を歯には歯を」ってやつ。もしくは逆に何されても無視するとかね。いじめる子はいじめられてる子が反応するからいじめるんだものね。
    くまさんの言う通り、子供に社会的制裁を加えるとか考えるよりもまず先に、そういう状況に子供をおいたままにしてた(もしくは「してる」)大人への制裁を考えるべきですよね。大人がその気になれば子供のいじめは力でねじ伏せられると思うんだけどな。
    それと親の問題もありますね。今の親は学校で教えられることと家で教えなきゃいけない事の区別ができてないような気がする。「自分がされてイヤだと思う事を人にやっちゃいけない」とか、「人の迷惑になるような事をやっちゃいけない」とかいう、「しつけ」の部分まで学校がやってくれるもんだと思ってる人って多くないですか? そうやって本来親である自分がやらなきゃいけない事をせずに放置しておいて子供に何かあったら「学校が」って言うんだよね。そういう何か勘違いしちゃった親がニュースとかでインタビュー受けてるの見る度に「…何言っちゃってんの? この人」って思うよ。
    やっぱり、子供が子供産んじゃってるってことなんだろうね。昔は子供が子供産んでも、育てていく過程で周りの大人がちゃんと親を「大人」にしてくれてたんだろうけど、今は身近にそんな大人がいなくなっちゃったってことなのかなぁ。

    ちょっと思ったんだけど、こんだけいじめの連鎖が続いてるってことは、今の親は「うちの子はいじめられてないか」って心配するのと同時に「うちの子はいじめてないか」って事も心配しなきゃいけないのかもね。

  3. ちるきち より:

    絶賛残業中のちるきちです。
    子供の頃は自分がいじめられてるのかどうなのか気がつかないぼーっとした者でしたが、よく考えると今も変わらなかったりして。
    この話題、ずっと噛みつきたいと思っているのですが、時間が無くてどうにもこうにも。とりあえず「後で発言したい宣言」だけしておきます。

  4. ちるきち より:

    大絶賛残業中のちるきちです。(最近名前の使い分けがわけわからなくなってきてますが)「待ち」の残業を利用してコメントを。えとですね、私は件のテレビ番組を見ておりませんので、とても一般的な話になってしまうことを最初にお断りしておきます。
    まず、疑問に思う点が「いじめは悪か」という点です。
    いえ、決して良いことだとは思いません。
    しかし、「いじめは悪いことで、やっちゃいけません」で終わってしまうのでは、とにかく深まりがなさ過ぎる。人間だれもが一生性善説の理想論で生きていけるならば別ですけどね。
    私はどんな経験でも人生にムダなことは無いという持論を持っています。なぜなら、経験でしか獲得できない感情や加減があるからです。
    いじめられた記憶。いじめをはねのけて立ち直った経験。人をいじめて傷つけて自分も傷ついた記憶。自分はいじめなくとも、黙って見過ごしてしまった心のとげ。
    そんな痛みを持って初めて、「実感としていじめは悪だ」と思える。人に対してつきあうときに、手加減ができる大人になれる。
    そんな経験、子供の頃しか安全に通り過ぎられないじゃないですか。大人になって初めて向き合うのでは、ダークすぎる。心柔らかな子ども時代は人生のシミュレーションとして、負の体験や感情も味わっていいんだと思うのです。
    だから、いじめは決して良いことではないけれど、体験として通り過ぎるのは必要かもしれないと思うわけです。
    本当にいけないことは、「手加減」ができないこと、エスカレートして度を超してしまうことです。
    手加減というのは本当に難しく、悪いことも経験として身につけさせることができる一方、良いことですら毒に変えてしまうときもある。
    切り上げ時に上手に切り上げるのって、難しい上に、状態を見極める目と、それから厳しさ、自分を律する心も必要になるんですよ。
    そういうものを養うためにも、経験は積まないより積んだほうがよい。
    すべてのものには「ほどよさ」があって、そのさじ加減を間違えたものが極端な現象としてニュースになるような悲劇を生み出したりするのでは無いかと。
    大人の役割は、そこの「手加減の部分」をコントロールしてあげて、解決へ向かう道しるべを指し示してあげることではないでしょうか。決して見てはいけないものとフタをするのではなく。
    こんな意見も、実際は奢った意見でしょうか?

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